ALVAR Aalto   ∝ アルヴァー・アールト   top▲

1898.2.3-1976.5.11 フィンランド生まれ
フィンランドのクオルタナ地方生まれ、1921年ヘルシンキ工科大学卒業、フィンランドにおける世界的建築家兼デザイナー。1924年、アルヴァー・アールトの事務所にアイノ・マルシオが仕事で訪ね、二人は恋に落ち、結婚し、長いパートナー関係が始まりました。1932年、まだ国際的な名声を得る前のアルヴァー・アールトはデザイン・コンペで妻に敗北…。1940年〜1947年渡米、自然素材を取り入れ、教会、公共建築、個人邸の建築設計のほかに、生活に密着するインテリアにも注目し、積層 板成形の研究をはじめ家具、ガラス器など幅広くデザインしています。




Aino Aalto   ∝ アイノ・アールト   top▲

1894-1949 フィンランド生まれ
アイノ・マルシオが、建築家アルヴァー・アールトの事務所を仕事で訪ねた1924年、その後二人は恋に落ち結婚、長いパートナー関係が始まりました。1932年デザインの「アールト・グラス」で、ミラノ・トリエンナーレ展で金賞を獲得しました。アイノ・アールトのデザインしたこのグラスとガラス器は、毎日使われる日用品として作られました。そのシンプルで時代に流されないデザインは、既に70年以上も私達の生活の中で活躍しています。




Alfredo Haberli   ∝ アルフレッド・ハベリ   top▲

1964 アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ
若くして国際的な工業デザイナーとして認知されているアルフレッド・ハベリ、スイスのチューリッヒにスタジオを構え活動しています。チューリッヒのデザインスクールSchule fur Designやミラノのドムスアカデミーにて教鞭をとり、デザイナーAhristophe Marchandとのユニットを結成して活動中、iittalaをはじめdriade, zanotta, LUCE PLANなどの各ブランドとのコラボレーションで作品を発表しています。




Antti Nurmesniemi   ∝ アンティ・ヌルメスニエミ   top▲

1927-2003 フィンランド生まれ
1951年から5年間建築事務所で働いたのち、独立。1960年と1967年に妻のヴォッコとミラノのトリエンナ−レにて、フィンランドのブ−スを担当する。1977〜1982年フィンランドデザイン協会の会長を務める。ヘルシンキの鉄道をはじめ、フェリ−、重要な建物のインテリアを手がけ、ヘルシンキを歩けば自然と彼のデザインが目に入る。中でも電柱の高電圧送電装置のデザインは圧巻。1957年デザインのほうろう製ポットはコレクタ−ズアイテムとして人気が高い。




Antonio Citterio   ∝ アントニオ チッテリオ   top▲

1950 イタリア・ミラノ生まれ
ミラノ工科大学建築学部卒業、 1972年建築デザイン事務所を開設、デザイナー兼コンサルタントとして産業デザインの分野で活動。B&B Italia, Flexform, Flos, Hackman, Inda, Kartell, Vitraなど多くの有名メーカーとのコラボレーションで作品を発表、1987年と1995年にGolden Compass Award賞を受賞。1999年にBrionvegaのアートディレクター、同年よりスイスのAccademia di Architetturaにて教鞭をふるっている。建築分野にも進出、ヴィトラ社のショールームとオフィス、ミラノの地下鉄及びローマの地下鉄などを手掛けている。カルテル社のMobilシステム、Battista折りたたみテーブルがニューヨーク近代美術博物館の永久コレクションに選定されるなど、いま世界で最も成功しているデザイナーの一人。




   ∝ アンナ・ペーターマン   top▲

北欧やドイツで人気のアンナは、子供服や家庭用品など幅広いデザインを手がけるスウェーデンのテキスタイル・デザイナー。「笑顔は、言葉を超えてしまうコミュニケーション」そんな「スマイル」をパソコン記号使ってデザインしたユニークなスマイリーシリーズが人気です。




Jens H Quistgaard   ∝ イェンス・クィストゴー   top▲

50-60'sの北欧モダンデザインを牽引してきたデンマーク出身のデザイナー。創立者でありデザイナーでもあるクィストゴーは、実に様々なチーク材を使ったアイテムを発表していますが、そのどれもが今なお人気が高く、北欧モダンには欠かせないアイテムとなっております。




乾 三郎  ∝ Saburou Inui     top▲

1911-1977
家業が家具製造業だったこともあり、家具職人の道を選んだ彼は、商工省工芸指導 所、産業工芸試験所を経て、当時プライウッドに注目していた天童木工に入社しました。自らも「プライチェア」、「」などの作品を発表し、柳宗理デザインのバタフライスツール制作にも大きく貢献しました。柳宗理氏いわく「乾三郎氏がいなければ、バタフライスツールは完成しなかった」と言われたほどでした。




Ulla Procope  ∝ ウラ・プロコッペ    top▲

1921-1968 フィンランド生まれ
1948年から1968年までの20年間、多くの有名専属デザイナーを抱えるArabiaの中でも、トップの一人として活躍していた彼女の作品は、女性らしさと素朴さ、現代にも通用する洗練された完成度の高さで、今なお人気です。新しい素材を採り入れた耐熱キッチンウェアの秀作「Liekki」や、同じデザインのバリエーションで様々な可能性を試みた「Sシリーズ(Ruska、Anemone、Rosmarini、Kosmos…)」など、彼女の生み出した作品は、今も生き続けています。




Oiva Toikka   ∝ オイバ・トイッカ   top▲

1931 フィンランド生まれ
フィンランドのガラス・デザインにおけるトップアーティストである彼の作品には、生きる喜びとアーティストとしての限界を打ち破る勇気に溢れており、その一風変わった表現は多くの国の人々を魅了し、その作品はフィンランドや海外で多くの賞を受けています。英国のサンダーランド大学(ガラス、建築ガラス、セラミック)で客員教授として教壇に立つなど、あらゆる分野で今なおトップデザイナーとして活躍しています。




Kji Franck   ∝ カイ・フランク   top▲

1911-1989 フィンランド生まれ
「フィンランド・デザインの良心」と称されたカイ・フランクは、常に色と形の調和に基づいた、シンプルで無駄のない実用品をデザインしてきました。「カルティオ」や1950年代のキルタ・シリーズに基づいて作られたアラビア陶器の「ティーマ」は、彼の作品の中でも世界的に有名なものです。すべての作品は、フォルムの純粋性と簡素な美への飽くなき追求という、このアーティストのクリエイティブな原則がよく現われています




Karin Bjorquist    ∝ カーリン ビョールクウィスト top▲

1927 スウェーデン生まれ
1950年、Wilhelm KogeのアシスタントとしてGustavsberg社に参加。1954年、ミラノ・トリエンナーレにてゴールドメダル受賞。1980‐88年、Gustavsberg社のアート・ディレクターとして同社の先頭に立ち、ノーベル賞受賞祝賀晩餐会に採用された「Nobel Service」の洗練されたフォルムを生み出すまでの彼女の足跡は、陶芸家としての彼女そのものと言えるのではないでしょうか。




梶本博司  ∝ Hiroshi Kajimoto     top▲

1991年、東京を拠点にプロダクトデザインを中心に活動開始。2001年、フリーの活動の傍らデザインのプラットフォーム「ポリサイト」に参加するなどポジティブな展覧会活動を続ける




北村 俊道  ∝ Toshimichi Kitamura     top▲

1950  東京生まれ
テキスタイルデザイナーとして活動中、廃棄される角紙筒からリサイクルや環境問題を意識した作品、「K-チェアー」を制作、1998年通商産業省グッドデザイン賞・教育部門賞を受賞。米国から先行販売される計画もあったが、無印(良品計画)より発売し記録的なヒット商品となった。テキスタイルデザイン会社(株)シェバル代表




剣持 勇  ∝ Isamu Kenmochi     top▲

1912-1971 東京生まれ
1932年商工省工芸指導所に入所し、ブルーノタウトのもとで豊口克平らと椅子の規範原型の研究を行う。1952年には、日本インダストリアルデザイナー協会を、渡辺力、柳宗理らと結成し、1955年剣持勇デザイン研究所を設立。その後、ブリュッセル万国博覧会「日本館」インテリア担当(金賞受賞)や、京王プラザホテルと数々のインテリアデザインを手掛ける。1964年には、代表作であるラウンジチェアがMoMAのパーマネントコレクションに選ばれている。我が家にもあった有名なスタッキングチェアは、総販売数が120万脚を越えた日本で最も販売数の多い椅子です




Charlotte Perriand   ∝ シャルロット・ぺリアン   top▲

1903-1999 フランス生まれ
パリ生まれの女性インテリアデザイナー。若くしてル・コルビュジェに認められ彼の共同制作者として、優れた家真を発表し続けた才能の持ち主。コルビジェのデザインとして有名なシェーズ・ロング(長椅子)やバスキュラン(背板が動く)などのユニークなデザインの椅子も実は共同作品である。

コルビジェのアトリエで日本の坂倉準三らと知り合ったが、それが縁で1940年、日本政府の招きで来日した際に柳宗理と出会っている。柳宗理を伴ってくまなくまわった日本の文化は彼女に鮮烈で大きな影響を与えたようだ。彼女のデザインの中ににじみ出ている独特の暖かさや濃やかさは日本文化に醸成されたものとも思える。コルビジェのマルセイユのユニテ・ダビダシオンのオープンキッチンなども日本住居の開放性をヒントにしているらしい。




鄭 秀和   ∝ Shuwa Tei   top▲

インテンショナリーズ代表。1968年神奈川県生まれ。建築の枠を越えたモノづくりレーベルとして「インテンショナリーズ」を設立。家具デザインから建築設計まで幅広く手がける。代表作には東芝の家電シリーズ「アテハカ」、「ユナイテッドアローズ」や「ストラスブルゴ」などの店舗デザイン、レコード会社「TOY'S FACTORY」などの空間デザインなどがある。




Stig Lindberg  ∝ スティッグ・リンドベリ   top▲

1916-1982 スウェーデン生まれ
スウェーデン最高の王立美術大学 コンストファックで学び、1937年にGustavsberg(グスタヴスベリ)社に入社後3年間、Wilhelm Kage(ヴィルヘルム・コーゲ)のもと、アシスタントとしてセラミックの製造を学び、1940年に同社の専属のデザイナーとなりました。セラミックはもちろんのこと、テキスタイルや絵本の挿し絵など幅広く手掛け、Wilhelm Kageと共にGustavsbergの黄金時代を築いたのです。1982年、65歳で亡くなってからは特に世界中で高い評価を得て、ここ最近の北欧ブームの火付け役になったといっても過言ではありません。日本や欧米の再評価により本国スウェーデンでStig Lindbergの作品をまとめた作品集「Tusenkonstnaren」が発売されるなど、まさに今リンドベリ人気が高まっています。




Stefan Lindfors  ∝ ステファン・リンドフォース   top▲

1962 フィンランド・マリエハムン生まれ
芸術家として、また工業デザイナーとして、彫刻家でもある彼の最近における創作活動の場は、アラビア社・イッタラ社のテーブルウェア、P.O.コルホーネン社の家具、またマリメッコ社の織物とインテリアデザイン、建築設計と広範囲に及んでいる

1992年にリンドフォースは、北欧で最も権威ある賞とされるベイネタナートレイルブレイザー賞を受賞




谷 俊幸   ∝ Toshiyuki Tani   top▲

1974 兵庫県生まれ
照明作家として自らデザイン、制作、セールスまで、精力的な活動を行っている。独自のコンセプト「遊光」から人に安らぐ空間を与え、その評価はELLE-DECO・VOGUE ITALY VOGUE JAPON・CASA VOGUE他など数多く紹介されています。インテリアショップ“IDEE”のブランド“スプートニック”として海外進出を果たし、ユネスコ主催ニューヨークイベント“デザイン21”に入選した彼の才能は日本はもちろん海外からも注目を集めています。「MODERN」は1999年4月に設立した氏のオリジナルブランド




TAPIO WIRKKALA   ∝ タピオ・ヴィルカラ   top▲

1915-1985 フィンランド・ハンゲ生まれ
1936年ヘルシンキの工業ア−ト研究所で学ぶ。幼少のころからデザインに強い関心を抱き、広告会社に勤めながら様々なデザインコンペに参加。'46年にイッタラのガラスデザインコンペで優勝。 '51年ミラノ・トリエンナーレ3部門でグランプリを獲得。その後、ウォッカのフィンランディアのボトル、フィンランド紙幣、ヘルシンキオリンピックの記念切手や食器など、デザイン活動は多岐にわたる。フィンランドの自然を巧みにデザインに取り入れた数々の作品から、「木とガラスの詩人」と称される。1951年から1954年の間はヘルシンキ工芸学校の芸術科ディレクターも勤めていた天才デザイナー




田辺麗子  ∝ Reico Tanabe     top▲

1934 東京生まれ
1957年女子美術大学卒業後、藤森健次事務所に入社。1961年第1回天童木工家具デザインコンクールで「ムライスツール」が入選し、同社によって製品化される(ムライとは田辺の旧姓)。その後、天童木工の海外の雑誌への広告に「ムライスツール」が使われており、それがニューヨーク近代美術館のキュレーターの目に止まり、1967年同美術館のパーマネントコレクションに収蔵された。現在、田辺麗子デザイン事務所を設立し、オフィス、病院、住宅等の建築およびインテリアデザイン家具を手掛けている




Timo Sarpaneva   ∝ ティモ・サルパネヴァ   top▲

1926-2006 フィンランド生まれ
ヘルシンキ美術工芸大学卒業後、1950年イッタラ社のデザイナーとなる。1954年グラス内に気泡や空洞を作る同社の最新技術、蒸気吹き込み製法を用いたオルキデアを発表し、世界的に注目を浴びる。1956年には多くのカラーバリエーションで構成する「iラインシリーズ」を発表。実用性と彫刻的なデザインが高く評価され、翌年ミラノトリエンナーレで金賞を受賞。その後もテキスタイル、陶磁器のデザイン等、多岐に渡る活動を展開する。タピオ・ヴィルカラ、カイ・フランクと並ぶ、フィンランド・グラス・ワークの巨匠。




Nanny Still   ∝ ナニー・スティル   top▲

1926 フィンランド生まれ
フィンランドデザイン界の大御所、ナニー・スティル、工業製品のみならず芸術作品の制作にも情熱を向ける現役デザイナーです。1972年にプロ・フィンランディア・メダル、1954年にはミラノのTriennaleでも受賞しています。




パスキーデザイン  ∝ Passkey designe    top▲

1994年、羽根田正憲&大橋由三子によってデザインユニット”パスキー”発足、東京を起点としプロダクトデザインの企画、開発に携わり、デザインコンペティションの入賞歴多数。『便利だけど使い捨てにされがちな輪ゴム、もっと愛着をもって永く使われるカタチにできないだろうか…』アニマルラバーバンドの両親(良心)です。




Birger Kaipiainen   ∝ ビルガー・カイピアイネン   top▲

1915-1988 フィンランド生まれ
フィンランド陶芸界の中で最もよく知られている一人です。花が雨に濡れたようなみずみずしいカラーの洗練されたアートから、『陶芸界のプリンス』や『装飾王』などと賞賛されています。彼は、ロシア正教会やルネッサンス様式の建築物に、インスピレーションを求めて描いています。彼の作品の大半は、1937〜54年と1958〜88年のアラビアのアート部門、また1954年〜58年のスウェーデンのローストランド社において制作されています。彼が唯一、大量生産の為にデザインしたテーブルウェアセット、パラティッシは1969年から制作している代表作でもあります。1977年に栄えあるプロフェッサーの称号を手にしています。




Hertha Bengtsson    ∝ ヘルサ・ベングトソン top▲

1917-1993 スウェーデン生まれ
Rorstrand在籍中に、1949年Bla Eld、1952年Kokaシリーズで人気が定着、その後Hoganas、Thomas、Rosenthalなどでも活躍、ヨーロッパだけでなく欧米女性の圧倒的人気を誇る、スウェーデンを代表するセラミックアーティスト。




Lisa Larson   ∝ リサ・ラーソン   top▲

スウェーデン生まれ
ゴデンバーグ陶芸学校卒業後、1954年Gustavsberg社へ入社。1979年までの25年間、Gustavsberg社の専属デザイナーとして活躍、主に動物や人々の表現豊かなフィギュアを製作する。Stig LindbergやKarin Bjorquistらと並びGustavsberg社を代表する作家となり、1979年に同社を退社しフリーランスとして活躍。スウェーデンだけでなくアメリカや日本でもコレクターが急増中、92年より再びGustavsberg社に工房を持ち現在も現役で活躍中の大御所です。




   ∝ レーナ・M・カールソン   top▲

2人の子供の母でもあるスウェーデンのテキスタイル・デザイナー、元気で明るい人柄が作品に表現されています




 柳 宗理  ∝ Sori(munemichi) Yanagi   top▲

1915(大正4年)6月29日、柳宗悦、兼子夫妻の間に、三人兄弟の長男として生まれました。柳宗悦は白樺派の同人で、のちに民藝運動の指導者となった人で、母兼子は当時の日本を代表するアルト歌手でした

原宿(宗悦の実家)生まれ、千葉県我孫子の手賀沼のほとりで育ちます。そのすぐそばに同じ白樺派の志賀直哉や武者小路実篤が住み、イギリス人の陶芸家バーナード・リーチの窯があり、リーチは週の半分を柳家で過ごしていました。昭和9年(1934年)、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に入学します、民藝への反発もあり、当時次々と紹介されていた前衛芸術に宗理も強く影響を受けていましたが、現代デザイン思想発祥の地であるバウハウス帰りの水谷武彦先生の講義を学校で聞き、大きなショックを受けました。そしてフランス人建築家、ル・コルビュジェの「現代の装飾芸術」を読み感激、自分の進んでいく道をみつけはじめます。

商工省の招きで来日した、ル・コルビュジェの協力者シャルロット・ペリアン女史のアシスタントとなり、全国を歩きます。その機械時代の最先端にいるはずのペリアンが選ぶものは、宗理が反発したはずの民藝。民藝の中には人間生活の原点があり、真のヒューマニティーがあって、機械時代にかえって学び得るものがあると感じ、「伝統と創造」というのは同じところにあると気が付いたようです。

昭和22年から工業デザインに着手、1952年(昭和27年)毎日新聞社主催の第一回工業デザインコンクールで第一席に入選、柳デザイン研究会を設立、1957年、ミラノ・トリエンナーレにおいて金賞を受賞、1977年、日本民藝館館長に就任。1982年紫綬褒章受賞

1950〜60年代の戦後復興期から高度経済成長期にかけて、最も日本のモダンデザインを支えたインダストリアルデザイナーです。シンプルで純粋な形の中に実現された、人の心を打つ暖かさは彼が主張する「用の美」そのものである。常に日本工業デザイン界の一人者として活躍し、現在もなおその創造意欲は衰えを知りません、リスペクト!




K+K kusama  ∝ K+K kusama    top▲

何にでも興味を示しながら、自分は何も作れないkさんと何でも上手に作ってしまうkさんの親子ユニット。その実態は…!



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